御小人
御小人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:53 UTC 版)
江戸城中の女中や奥役人が出入りする際の供奉や玄関・中之口などの警備、御使や物品の運搬などを職務とした者。単に小人とも呼ばれる。15俵1人扶持だが、三河以来の家柄18家の場合は35俵2人扶持や32俵1人扶持であった。総数は500名ほど。将軍の装束御成りの際には、10数人が選ばれ、2人交替で御馬の口取りも行った。熨斗目に白張を着用し烏帽子を冠って、将軍の手筒や蓑箱などを持ち、亀井坊1人・馬験(うまじるし)5人・長刀7人・小道具20人・賄6人・草履方10人・日傘持1人が随行した。 御小人からの出役は、小馬験役之者・亀井坊・御長刀役之者・御小道具役之者・扶持賄・御使組頭・草履取・御小人目付・西丸御小人目付・御日傘持・御小人押・御玄関番・西丸御玄関番・中之口番・西丸中之口番など。小馬験役之者は役料35俵、亀井坊は20俵、御長刀役之者は15俵、御小道具役之者には5俵がそれぞれ支給された。 小人組と呼ばれる3つの組に分けられ、各組に小人頭1人と小人組頭2名が置かれた。また、西丸や二の丸、勘定所や広敷、甲府役人にも小人は設置された。 宝暦10年(1760年)3月、小人の子息12人を登用し、新規抱とした。 江戸時代末期には、本郷金助町と湯島切通に役所を設置し、御小人を両所に分けて所属させた。それぞれに触番を数名ずつ置き、使者(つかいもの)という御小人を江戸城に派遣し、小人頭から役割書を受け取り、夕刻に参集する御小人に翌日の分掌を伝達する仕組となっていた。 幕末には兵制改革により撤兵その他に編入された。
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