後円部南石室
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後円部の南石室は、1950年(昭和25年)に盗掘を受け、同年に緊急発掘調査が実施されている。 この南石室は、緑泥片岩・石墨片岩など結晶片岩(紀の川産)製の割石を積んだ竪穴式石室で、長さ5.5メートル、幅1.9メートル(東側)・1.71メートル(西側)、高さ約1.1メートルを測る。天井石は凝灰岩(流紋岩質溶結凝灰岩:兵庫県加古川市付近の姫路酸性岩)製の切石で、西端1枚を除く5枚を遺存する。この石室の中央に石棺を据える。 石棺は、兵庫県加古川流域産の成層ハイアロクラスタイト(竜山石)による組合式の長持形石棺で、全面に朱を塗り、長さ3.5メートル(縄掛突起を含むと3.77メートル)、幅約1.4メートルを測る。蓋石は格子亀甲文を有するほか、縄掛突起を4面各2個の計8個有する。被葬者は東枕であり、石室は石棺を据えたのちに築かれたと見られる。盗掘に伴い石室内の副葬品の多くは散逸したが、調査では三角縁神獣鏡片・甲冑片・刀剣片などが検出されている。また、石棺は現在も石室に納めた状態のまま保存されている。 この石室周囲には、2重の埴輪列が長方形に巡らされていた。埴輪列のうち、外側列は甲冑形埴輪(冑は革製)・靫形埴輪・盾形埴輪など高さ約1.5メートルを測る埴輪40体前後から成る大規模な武器形埴輪列、内側列は円筒埴輪・朝顔形埴輪列とする。武器形埴輪は正面を外側に向けて被葬者を守る意味合いを示す。そのうち冑形埴輪が当時一般的な鉄製冑形でなく革製冑形であることから、被葬者自身の武具の象徴というよりも被葬者を守護する親衛隊の象徴と見られる。また2重埴輪列のさらに南側には、大型の家形埴輪5体以上が置かれていた。以上の埴輪の一部や埴輪列の復元模型は橿原考古学研究所付属博物館に展示されている。 南石室 開口部 南石室 石棺 南石室 石棺内部
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