後円部南石室とは? わかりやすく解説

後円部南石室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 21:53 UTC 版)

室宮山古墳」の記事における「後円部南石室」の解説

後円部南石室は、1950年昭和25年)に盗掘を受け、同年に緊急発掘調査実施されている。 この南石室は、緑泥片岩石墨片岩など結晶片岩紀の川産)製の割石積んだ竪穴式石室で、長さ5.5メートル、幅1.9メートル東側)・1.71メートル西側)、高さ約1.1メートル測る天井石凝灰岩流紋岩溶結凝灰岩兵庫県加古川市付近姫路酸性岩)製の切石で、西端1枚を除く5遺存する。この石室中央石棺据える。 石棺は、兵庫県加古川流域産の成層ハイアロクラスタイト竜山石)による組合式の長持形石棺で、全面塗り長さ3.5メートル縄掛突起を含むと3.77メートル)、幅約1.4メートル測る石は格子亀甲文有するほか、縄掛突起4面各2個の計8個有する被葬者は東であり、石室石棺据えたのちに築かれと見られる盗掘に伴い石室内の副葬品多く散逸したが、調査では三角縁神獣鏡片・甲冑片・刀剣片などが検出されている。また、石棺は現在も石室納めた状態のまま保存されている。 この石室周囲には、2重の埴輪列が長方形巡らされていた。埴輪列のうち、外側列は甲冑埴輪(冑は革製)・靫形埴輪盾形埴輪など高さ約1.5メートル測る埴輪40前後から成る大規模な武器埴輪列、内側列は円筒埴輪朝顔形埴輪列とする。武器埴輪正面外側向けて被葬者を守る意味合いを示す。そのうち冑形埴輪当時一般的な鉄製冑形でなく革製冑形であることから、被葬者自身武具象徴というよりも被葬者守護する親衛隊象徴と見られる。また2重埴輪列のさらに南側には、大型家形埴輪5体以上が置かれていた。以上の埴輪一部埴輪列の復元模型橿原考古学研究所付属博物館展示されている。 南石室 開口部 南石室 石棺 南石室 石棺内部

※この「後円部南石室」の解説は、「室宮山古墳」の解説の一部です。
「後円部南石室」を含む「室宮山古墳」の記事については、「室宮山古墳」の概要を参照ください。

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