後円部埋葬施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 22:18 UTC 版)
1956年の後円部での発掘調査では主軸を南北に向けた粘土槨が検出されている。粘土槨中央部は盗掘により遺存しなかったが、その両端部が残されており、全長6.80メートル、幅は北部で1.45メートル、南部で1.30メートルであることが確認された。粘土槨内には木棺の痕跡が残されており、その大きさは全長6.35メートル、北部の幅63センチ、南部で幅65センチであった。遺物は盗掘により原位置をすべて失っていたが鉄剣2、鉄刀子(残欠)1、蕨手刀子4、鉄斧15、鉄鎌9が出土している。この粘土槨は後円部の中心よりやや東よりで検出されているので、他にもう1つ埋葬施設が並列している可能性も指摘されている。
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