府中愛宕山古墳とは? わかりやすく解説

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府中愛宕山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 23:00 UTC 版)

府中愛宕山古墳

墳丘
(手前に後円部、右奥の建物後背に前方部)
所属 舟塚山古墳群
所在地 茨城県石岡市北根本
位置 北緯36度10分12.60秒 東経140度17分36.06秒 / 北緯36.1701667度 東経140.2933500度 / 36.1701667; 140.2933500座標: 北緯36度10分12.60秒 東経140度17分36.06秒 / 北緯36.1701667度 東経140.2933500度 / 36.1701667; 140.2933500
形状 前方後円墳
規模 墳丘長96.6m
高さ8.5m(後円部)
埋葬施設 不明
出土品 土師器壺・埴輪
築造時期 6世紀初頭
史跡 茨城県指定史跡「府中愛宕山古墳」
地図
府中愛宕山
古墳
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府中愛宕山古墳(ふちゅうあたごやまこふん)は、茨城県石岡市北根本にある古墳。形状は前方後円墳。舟塚山古墳群を構成する古墳の1つ。茨城県指定史跡に指定されている。

概要

茨城県中部、恋瀬川流域の台地上に築造された古墳である。南西約300メートルには舟塚山古墳があり、霞ヶ浦との位置関係から愛宕山古墳は「出舟(出船)」、舟塚山古墳は「入舟(入船)」と通称される[1]。愛宕山古墳については1897年明治30年)に発掘調査が実施されているほか、1979年昭和54年)に周溝確認の発掘調査が実施されている[1]

墳形は前方後円形で、前方部を南東方に向ける。墳丘周囲には周濠が巡らされている[2]。明治の調査の際には無文素焼(土師器)の壺7個が発見されたというほか、墳丘から形象埴輪が出土したというが、詳細は不明[1]。築造年代は、古墳時代後期の6世紀初頭頃と推定される[1]

古墳域は1971年(昭和46年)に茨城県指定史跡に指定されている[3]

遺跡歴

墳丘

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:96.6メートル
  • 後円部
    • 直径:57メートル
    • 高さ:8.5メートル
  • 前方部
    • 幅:57メートル
    • 高さ:7.5メートル

墳形の築造企画は、誉田御廟山古墳大阪府羽曳野市)との類似が指摘される[1]。墳丘周囲に巡らされた周濠の幅は、後円部側で約16メートル、前方部側で約24メートルを測る[2]

文化財

茨城県指定文化財

  • 史跡
    • 府中愛宕山古墳 - 昭和46年12月2日指定[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 史跡説明板。
  2. ^ a b 府中愛宕山古墳(古墳) & 1989年.
  3. ^ a b c 県指定文化財(石岡市ホームページ)。

参考文献

関連項目

外部リンク




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