当時の海事法との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:19 UTC 版)
「サン=フェリペ号事件」の記事における「当時の海事法との関連」の解説
サン=フェリペ号の積荷は100万ペソ、ガレオン船12隻(投棄されず漂着した積荷は60万ペソであるため8隻)の建造費に相当する巨額の財宝であり、船員達の帰郷を待つ家族の生活基盤さえも揺るがしかねない過酷な没収であった。当時、日本にいた宣教師ルイス・フロイスもこの事件の顛末を述べているが、そこでは「漂着した船舶は、その土地の領主の所有に帰するという古来の習慣が日本にあったため」積荷が没収されたと述べている(ルイス・フロイス書簡 長崎発 1597年3月15日)。歴史書ではしばしば「漂着した船の積荷には、その土地へ所有権が移るのがこの時代の海事法(廻船式目)であったため」というような記述が見られる。『廻船式目』とは鎌倉時代に当時の海上の慣習を文章化した上で鎌倉幕府の裁可を得たもの(という仮託で、実際は16世紀末成立。詳細は、「寄船」「廻船」「浦終い」も参照)だが、その地の豪族・大名により内容の統一が保たれていなかった。豊臣秀吉は海法規定を整理・統一しようという考えから廻船式目の中から取捨選択、補足・削除をした『海路諸法度』(1592年)を制定したものと考えられるが、廻船式目から大きな変更は見られず、領土領海への侵犯や国家間の衝突時の拿捕に関する記載はない。
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