当時の沖縄の人口動静
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 13:25 UTC 版)
「オキナワ移住地」の記事における「当時の沖縄の人口動静」の解説
苛烈を極めた沖縄戦が事実上終結したのは、1945年6月下旬である。この戦闘で、一般住人の約94,000人が戦死または行方不明となった。アメリカ軍は、沖縄戦を生き抜いた住民の大半を沖縄本島内の7箇所のキャンプに収容した。その数は1945年10月の段階で、約249,000人に及んだ。 アメリカ軍は、不要な土地を放棄しながらも1949年段階で沖縄本島の陸地総面積の約14%を軍用地として確保していた。一方で、約125,000人が元の居住地に戻れない状況であった。さらに、1946年以降、日本本土、台湾、南洋群島から10万人以上の沖縄出身者が沖縄本島に引き上げてきた。アメリカ軍の土地接収によって農地や住宅地が大幅に縮小するなか、逆に沖縄の人口は引揚者の流入により膨れ上がった。
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