当時のサービス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 17:35 UTC 版)
「アエロフロート・ロシア航空」の記事における「当時のサービス」の解説
1980年代には、イリューシンIl-86などの西側諸国の最新鋭機と並ぶことを目指した最新鋭機の導入を進めたものの、Il-86は航続距離が短いためモスクワ-東京などの長距離路線では就航せず、居住性に優れたボーイング747などの大型機が主流になった1980年代でもイリューシンIl-62を継続使用せざるを得なかった。航空会社としてのサービス水準は当時の東側諸国のサービス企業の多くと同様、西側のそれには遠く及ばず、それがゆえに西側諸国においては航空券の安さと、充実した路線網だけが選択の理由であるという状態であった。それ故日本では日本-欧州間を早くそして安く移動できるということで学生から人気があった。 もっともあくまでもアエロフロートは「民間航空輸送」が業務であるため、ソ連人の利用者は(アエロフロート本来の業務と直接に関わらない必要以上の)機内サービスにかかる料金を含まない「純粋な運賃」を支払うだけでよいシステムになっていた。 一部の路線(特にアフリカ方面)へ向かう際に、翌日以降便への乗り継ぎのためにモスクワで一泊する必要があった場合は、本来なら査証を取らなくてはならないところを免除していた。その際のホテル(ノボテル・シェレメチエヴォホテル)は無料であった。当時のソ連としては破格のもてなしといえるが、これは外貨を獲得するために有効な手段だったことによるもの。
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