当時のキャバレー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 05:43 UTC 版)
昭和30年代は、巨大なホールを擁したキャバレーが、全国で営業していた。大人の社交場とも称され、実際に社用として利用されることも多かった。生バンドを擁し、そこからメジャーになったバンドマンも少なくなかった。チークタイムには、生バンドのムード演奏にのって、客とダンサーが踊った。ゲストも多彩で、当時のトップクラスの歌手から、セクシーダンスショーまで、常に何らかの出し物があることも珍しくなかった。 現代の同様業種でもそうだが、キャバレーはいくつかの約束事があった。劇中のものを抜粋すると、以下のようになる。(なお、劇中では、このシステムは、坂井が立ち上げたことになっている) 本番と指名がある。本番とは、指名がないフリーでの接客ということ。 指名1回につき500円、本番は200円がダンサーにバックされる。だから指名の数を稼ごうとする。 本番しかないダンサーは、舞台裏に並ぶ。客が多ければ、列の先頭近くに並べば2回転以上できる。本番料も2倍以上になるので、早く出てきて並ぶ者も多い。 指名客の飲食代は、つけになった場合はダンサーが立て替える。立て替え分はその日に店に払わなければならない。いきなり売れたダンサーなどは支払いに困ることも。 指名にならないダンサーにも、指名が多いダンサーと懇意にしておくと、指名が重なった場合や、お客が多人数グループだった場合などにヘルプとしてテーブル指名してもらえることがある。そのため売れっ子は派閥を形成することになる。 ダンサーという呼称は、やがてホステスという呼称に変わっていく。劇中では、昼間のパーティなどで接客を行うことを女主人=ホステスと呼称していたが、実際には夜の女性もそう呼んでいた。劇中でいうホステスは、現在ではコンパニオンと呼ばれている。 しかし、昭和30年代後半になると、新しい風俗産業が現れるようになる。素人をうりとするような「アルバイトサロン」、小規模でも高級感がある「クラブ」などである。劇中では、高給でダンサーを引き抜こうとする巨大キャバレーのライバルとしてアルサロが登場する。50年代になると、さらに新しい風俗が続々と誕生し、巨大キャバレーは客足が落ち、いまではほとんど見られなくなっている。
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