当時における批判とそれに対する反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/03 05:00 UTC 版)
「第一次大覚醒」の記事における「当時における批判とそれに対する反論」の解説
信者達の信仰への熱の低さに危機感を抱いていた牧師達は、当初は、むしろ積極的に伝道者達を迎え入れ、自身の教会で説教させていた面もあったが、後に態度を改め、激しく批判したり、教会や街からの締め出しを行うようになっていく。 批判者の論旨は明快であり、大覚醒に伴う伝道者達の説教には神学に基づく厳密性がなく、ただの扇動であり、「自覚的な回心」とされるものには一時的な感情の昂ぶりに過ぎず、何も宗教的意義はないとする。先述の通り、伝統的なプロテスタントにあって説教とは、高度な聖書理解を一般信徒に教授する学識の場であって、神学論に基づかない論説を始め、信徒を論理ではなく感情で説き伏すのは論外であった。また、回心とは教会や共同体が報告を受けて審査し、認めるものであって、信徒個人の捉え方によって認められうるようなものでもなかったし、まして回心を2度以上経験するというのは、回心という概念そのものに対する考え方が大きく異なることを示していた(何度も回心する、悔い改めるということは、厳格な立場から見れば、少なくとも以前のそれは虚偽か錯覚だったということになるし、それを見抜けなかった牧師の能力への疑問にもつながる)。 これに対して復興運動者達は、そもそもイエス・キリストが形式主義的なパリサイ人を批難したことを引き合いに出し、信仰に高度な神学の知識が必要とする立場を否定する。むしろ素朴な信仰こそが本物の信仰であると断じ、さらに一般大衆からの支持を得た。
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