引退試合・ボンサンテ戦
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「ルイス・ラモン・カンパス」の記事における「引退試合・ボンサンテ戦」の解説
2016年1月23日、モンタナ州ビュートのシビック・センターで1990年7月21日に地元のプロモーターがイベントを開催して以来約26年ぶりとなる同会場での試合で「バトル・オブ・ザ・エイジス(中年ファイト)」のイベントでメインイベンターとしてプロ生活29年の引退試合。アンソニー・ボンサンテとスーパーミドル級契約10回戦で対戦。幾多の選手に引導を渡している相手だった。ここ2試合でKO勝ちを収めているため、全盛期には驚異と言われたショートフックの打力が完全復活。その効果が5回にダウンを奪う形で成果が出るも4回以降からボンサンテの執拗なホールディングとプッシングを繰り返され、最終的にカンパスが投げられる形になり7回失格勝ちを収め29年の現役生活に別れを告げた。なおカンパスは負傷しながらも試合後に即席で会見を開き、今後は故郷ナボホアでジムを開いてトレーナーをやりたいと語り、試合後ボンサンテが「引退試合で悪いことをしてしまって申し訳ない」と直接謝罪を受けたと明かした。今まで戦った相手で強い選手との問いで「1番強かったのはホセ・ルイス・ロペス。プレッシャーをかけられてなすすべがなかった。ロペスのコンビネーションはどうにも出来なかったね」と話した。 試合後の27日にマネージャーとトレーナーを兼任するディアスが会見を開いた。まず反則行為を繰り返したボンサンテに無期限の出場停止処分と罰金を支払う処分が言い渡された事を口にした。その後カンパスの怪我について言及した。カンパスは度重なる反則を受けた代償で右膝と右足の靱帯の一部(膝も含む)を切った他、首が曲がらないなど全治6ヶ月の重傷を負い手術はせず薬品投与で治療を受けていることを明かした。 2016年6月8日、プロデビューから2002年まで15年間カンパスのトレーナーを務めたホセ・モラレスが死去。
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