建設地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 12:05 UTC 版)
1960年代に四日市港沿いの半島地形であった塩浜地区周辺や納屋地区や伊勢湾沿いの海水浴場であった須賀浦海水浴場(四日市市北部の天ヶ須賀地区)・松ヶ浦海水浴場(四日市市北部の富田一色地区)・富田浜海水浴場(四日市市北部の富田地区で第3四日市コンビナートが建設された)・霞ヶ浦海水浴場(四日市市北部の羽津地区で第3四日市コンビナートが建設された)・午起海水浴場(東橋北地区で第2四日市コンビナートが建設された)の砂浜を埋め立てて四日市の石油化学コンビナートや港湾施設が建設された。四日市公害(四日市ぜんそく)は化学企業が立地していた第1コンビナート付近の塩浜地区と、石油企業が立地していた第2コンビナートのスモッグが直撃した海蔵地区の塩浜・海蔵の2地区で公害被害が甚大であった。第1コンビナートの建設地は塩浜地区で四日市港沿いの住宅地の周辺であり、戦争中に建設されて四日市空襲で壊滅した海軍燃料廠の跡地があった。そこに、第1コンビナートを建設した。それが、四日市喘息の初期である塩浜喘息の要因となる。公害対策として第1コンビナートの高煙突化が行われたが、それによって被害が甚大であった塩浜地区(塩浜地区・三浜地区・磯津地区)以外の以下の地区(三重郡楠町と四日市南部の日永地区・浜田地区)に四日市公害が拡大した。 第2コンビナートの建設地は午起海水浴場で埋め立てによって建設された中部電力を中心とする第2コンビナートによって四日市喘息が塩浜地区以外の以下の地区に公害が拡大した。 東橋北地区と西橋北地区は納屋地区は近隣に工場がある四日市公害汚染地区である。 羽津地区・海蔵地区・中部地区は四日市公害の汚染物質が拡散した地区である。公害の被害が拡大した結果、大気が汚染された地区である。 第3コンビナートの(建設地は霞ヶ浦海水浴場)で伊勢湾の埋め立て工事をして、建設した人工的に埋め立てられた島で住宅地と離れていた事と、プラント設備など公害対策がとられたので富田地区には深刻な公害が発生しなかった。
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