第2コンビナート(午起地区)
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「四日市コンビナート」の記事における「第2コンビナート(午起地区)」の解説
当コンビナートは四日市市長(当時)の平田佐矩によって誘致された。なお、稼働する頃には四日市市長は九鬼喜久男に代わっている。 この地区の企業によって、大気汚染公害がさらに四日市港周辺の臨海部の地区に拡大し、四日市ぜんそくへと問題が拡大していった。 午起地区は、嘗ては白砂青松の地であったが、埋め立て事業が1957年 (65年前) (1957)に田中覚三重県知事(当時)によって施行された。 四日市市営住宅と分譲住宅が建てられ、大協石油を中心企業とする第2四日市コンビナート造成されるのと同時期に国鉄が午起駅が臨時駅として設置した。 四日市ぜんそくの被害が東橋北地区·西橋北地区·海蔵地区·納屋地区·中部東小学校区と中部西小学校区の共同地区·同和地区·中央地区·港地区·羽津地区に拡大した。 現存稼働している事業所 日本板硝子 四日市工場 ‐ 1936年12月 (85年前) (1936-12)設立 第一工業製薬 四日市工場 千歳工場 ‐ 1939年4月 (83年前) (1939-04)設立 コスモ石油 第一陸上出荷場·第二陸上出荷場 コスモ石油 四日市製油所 ‐ 1943年7月 (78年前) (1943-07)設立コスモ石油ルブリカンツ 四日市工場 コスモ石油ルブリカンツ 四日市トレーニングセンター JERA(⟮旧⟯中部電力) 四日市火力発電所 ‐ 1963年6月 (59年前) (1963-06)設立 KHネオケム 四日市工場 午起製造所 ‐ 1963年10月 (58年前) (1963-10)設立 昭和電工ガスプロダクツ(⟮旧⟯昭和炭酸) 四日市工場 ‐ 1969年4月 (53年前) (1969-04)設立
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