建設、開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 06:40 UTC 版)
カラーウーンの治世には、多くの建築事業が実施された。 カイロ市内に総合病院、マドラサ(神学校)などから成る巨大な複合施設群を建設し、その中心部にはエルサレムの岩のドームを模した墓廟が存在していた。施設群の中心である総合病院(アル=マーリスターン・アル=マンスーリ)は、カラーウーンが建設した施設の中でもっとも有名なものに挙げられている。病院には隔離病棟、実験室、薬局、浴室、調理場、貯蔵室が設けられ、年に数100万ディルハムの収入を得られるワクフ(寄進財産)を有していた。病院が建設された経緯については、カラーウーンが疝痛でダマスカスのヌーリ病院に入院した時に暗示を受け、回復後にカイロにも同様の総合病院を設置することを誓約した伝承が残されている。病院は身分に関係なく利用することができ、入院患者以外に外来の患者も治療していた。このような経緯でカラーウーンは病を回復させる人物だと信仰されるようになり、病人たちは彼の墓廟に保存されている衣服を触って回復を祈願した。 1283年には、エジプトのかつての穀倉地帯であるブハイラ地方の再開発が行われた。国内のアミールとその配下の騎士たちに仕事と報酬・食料が割り振られ、10日間の工事でタイリーヤ運河が完成した。 また、カラーウーンの治世にアレッポ、バールベック、ダマスカスの城郭が修復された。
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