建国説話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 19:13 UTC 版)
『三国志』巻三〇・魏書三〇・烏丸鮮卑東夷・夫餘所引『魏略』には以下の記述がある。 昔北方有槀離之國者,其王者侍婢有身,王欲殺之,婢云:「有氣如雞子來下,我故有身。」後生子,王捐之於溷中,豬以喙嘘之,徙至馬閑,馬以氣嘘之,不死。王疑以爲天子也,乃令其母收畜之,名曰東明,常令牧馬。東明善射,王恐奪其國也,欲殺之。東明走,南至施掩水,以弓撃水,魚鱉浮爲橋,東明得度,魚鱉乃解散,追兵不得渡。東明因都王夫餘之地。昔、北夷の槀離之国があり、王は侍女が妊娠したので殺そうとした。侍女は「以前、空にあった鶏の卵のような霊気が私に降りてきて、身ごもりました」と言い、王は騙された。その後、彼女は男子を生んだ。王が命じて豚小屋の中に放置させたが、豚が息を吹き掛けたので死ななかった。次に馬小屋に移させると、馬もまた息を吹き掛けた。それを王は神の仕業だと考え、母に引き取って養わせ、東明と名づけた。東明は長ずると、馬に乗り弓を射ること巧みで、凶暴だったため、王は東明が自分の国を奪うのを恐れ、再び殺そうとした。東明は国を逃れ、南へ走り施掩水にやって来て、弓で川の水面を撃つと、魚や鼈が浮かび上がり、乗ることが出来た、そうして東明は夫余の地に至り、王となった。 — 三国志、巻三〇 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。三國志/卷30#東夷 白鳥庫吉によれば、ここに登場する橐離・索離はツングース語で「黒」の意義で、施掩・掩淲はツングース語アムールの對音で大河の意義であり、そして索離は、黒水部で松花江が黒龍江と合流するところを中心としていた国で、河は黒龍江を指したものに相違ない、とする。干志耿(ハルビン師範大学(中国語版))は、夫余の位置を吉林省農安県にあてた上で、その北側として、嫩江下流と松花江中流以北の地、すなわち松嫩平原に橐離の住地があったとみて、黒竜江省肇源県の白金宝文化(中国語版)や、それが代表する文化類型が橐離の文化であるとする。
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