建主改従か改主建従か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)
「日本の鉄道史」の記事における「建主改従か改主建従か」の解説
1907年の鉄道国有化以後、産業の発展に伴い貨物の輸送量が増大し大正初期には貨物収入が旅客収入を上回るようになった。当時の東海道線は複線化が進んでいたものの一部に単線区間が残り、輸送力は限界に達していた。今後も伸び続けるであろう需要に対する抜本的対策として、『主要幹線を国際標準軌へ改軌する』という広軌改築案が、1910年に閣議へ提出された。一方で鉄道の利便性が広く認識された結果、鉄道未設置の地区においては新線建設の強い要望が次々と出された(当時の鉄道総延長は約8,000 kmで現在の半分程度であった)。国鉄は線路網の充実と既存路線の強化改善に取り組んできたが、大正時代に新線建築と既存幹線改善のどちらに重点を置くかについて、重大な政治問題に発展した。
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