建仁僧堂時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 03:28 UTC 版)
1936年(昭和11年)には京都の建仁僧堂に掛塔して、竹田頴川に参禅する。その時に師匠の竹田頴川によって、小池昴は心叟と名付けられた。敗戦近くなった1945年(昭和20年)、心叟は第二次世界大戦の召集令状が来たため、久留米の工兵隊に入隊した。そして同年9月には敗戦によって復員。そして1945年の10月には建仁僧堂に再掛塔した。しかしその時には8年間、師としていた竹田頴川は既に遷化していたため、竹田頴川の法嗣である竹田益州に参禅することとなった。
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