建仁寺派管長時代から遷化まて
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「竹田益州」の記事における「建仁寺派管長時代から遷化まて」の解説
1954年(昭和29年)4月1日に臨済宗建仁寺派管長に就任。1964年(昭和39年)4月には建仁寺開山千光国師(栄西禅師)750年遠諱厳修。1965年(昭和40年)4月には鳴滝の妙光寺兼任住職となり、12月には広島の神勝寺の勧請開山となる。1980年(昭和55年)5月10日、建仁僧堂師家を法嗣の湊素堂に譲り管長職に専念する。1981年(昭和56年)11月16日、日中友好臨黄協会派遣「第二次代表訪中団」の団長として訪中する。1983年(昭和58年)10月19日、建仁寺方丈で米寿祝賀会が開催され、竹田益州画帖「落草餘事」が記念出版された。1989年(平成1年)6月20日午後3時12分、京都第一日赤病院で遷化。6月22日建仁僧堂の霊洞院で密葬。9月28日、建仁寺の法堂にて本山葬、津送。世寿94。
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