平野説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
保守対進歩の争いとみる立場を、講座派マルクス主義に基づき学問的に確立したのが平野義太郎である。 ブルジョア自由民権運動に対立した憲法制定に応じて…民法制定におけるブルジョア自由主義に対抗して、封建的家族制度を再建することが、官僚的民法制定やボアソナード起草「旧民法」の施行を延期せんとする「法典争議」の核心をかたちづくる本質的要素である。憲法の解釈家、穂積八束がボアソナードのフランス模倣民法を、「民法出デテ、忠孝亡ブ」の反対論をなしたのは、よくこの関係を示してゐる。…したがって、これによって修正された新民法の「親族編」「相続編」は、封建的家族制度・長子相続制を法制化し、「家」を中心に置き…封建的男性の支配、女子の無権利主義を基本としたものである。 — 平野義太郎「家を中心とせる身分法の成立史」初出1934年(昭和9年) 「ボアソナード起草「旧民法」」とあるが、家族法の立法過程を無視しており不適切との批判がある(熊谷)。また旧通説においても、相続法は根本的修正が無いとの主張がある(青山)。 もっとも、平野も旧民法の保守性や明治民法の進歩性を部分的に認めており、相対評価に過ぎないことが指摘されている。
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