平民の敵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:27 UTC 版)
「アッピウス・クラウディウス・クラッスス・インレギッレンシス・サビヌス」の記事における「平民の敵」の解説
紀元前5世紀序盤のローマでの課題は土地分配法に関わる一連の騒動で、紀元前473年には元執政官を告発した護民官ゲヌキウスの不審死の後、元ケントゥリオのウォレロ・プブリリウス(英語版)の上訴がきっかけとなり執政官付きリクトルのファスケスが折られる程の騒乱が起こっていた。ウォレロはその翌年護民官となると、護民官をトリブス民会で選出するとするプブリリウス法(英語版)を提出した。この法案が通るとパトリキ(貴族)はクリエンテスを使って護民官選挙に影響力を及ぼせなくなるため審議は紛糾、翌紀元前471年も連続してウォレロが護民官に当選していた。そのためパトリキ側も対抗して、父の代からプレブス(平民)を憎み敵とするアッピウスを執政官に選出した。同僚はティトゥス・クィンクティウス・カピトリヌス・バルバトゥスで1度目の選出であった。 審議ではまずウォレロの同僚ガイウス・ラエトリウスが口火を切り、翌日の投票では命をかけて法案を通す事を宣言した。翌日、ラエトリウスは投票しないものは「立ち退け」と言い、それでも動こうとしなかった貴族を何名か逮捕するよう命じた。アッピウスが反論する。平民の官職に過ぎぬ護民官が何の権限でもって貴族に命令する。コンスルの私ですら市民に言えるのはせいぜい「立ち去ってくれたまえ」だ。君もわきまえたまえよ。逆上したラエトリウスに対し、平民風情がとリクトルを差し向けるアッピウス。護民官を守るため怒り狂った人々がフォルムに押し寄せて来たが一歩も退かず、一触即発となったところでバルバトゥスが割って入り、アッピウスを退場させると、貴族は人々に従い、コンスルは貴族に従うだろう、と人々を説得してどうにか落ち着かせた。 元老院で対応が協議されたが、国家の団結こそ最優先にすべきと結論が出た。アッピウスは紀元前494年の護民官設立より重大な譲歩だと訴えたが、最終的には元老院の決定に従いプブリリウス法は成立した。これを受けて、翌年の護民官は3名増強され5名となった。
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