平民との関係改善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 03:17 UTC 版)
詳細は「ウェイイとの戦い (紀元前480年)」を参照 翌紀元前480年の執政官も貴族の後押しを受けてファビウス氏族であるマルクス・ファビウスが当選し、平民との溝はさらに深くなる。だがそのころ、先の戦争でローマ内部に不和が起こっているのを知ったウェイイが、全エトルリア人を集めてローマを滅ぼそうと宣戦を布告した。護民官の一人はこの期に及んでも農地法を再提出して軍務忌避を呼びかけたが、アッピウス・クラウディウスが他の護民官を説得してなんとか徴兵が実施される。 そしてローマ軍はウェイイ・エトルリア連合と対陣したが、マルクス・ファビウスはこのままでは前のような命令拒否で満足に戦えないと判断し、全軍を陣地にこもらせ出撃を命じなかった。これに調子をよくしたエトルリア人達は、ローマの陣営に向けてさかんに侮辱的な罵声を飛ばす。この状況にローマ兵の若手達から不満の声があがり、執政官に出撃を求めたがそれは拒否された。やがてエトルリア人からの罵倒はますます激しくなり、今度はローマの全兵士が執政官のもとに出撃命令を出せと詰め寄った。同僚執政官のグナエウス・マンリウスが譲歩しかけたとき、マルクス・ファビウスはこう発言した。「兵士達が勝利することはわかっているが、彼らが勝利を願っているのかがわからない。兵達が勝利者として戻ってくると神に誓わない限り、私は出撃命令を出さない」この言葉を聴いて、請願に来ていた百人隊長がまず神々に誓い、次々と全兵士が勝利を誓った。 そして出撃命令が出され、ローマとウェイイ・エトルリア連合との戦いが始まった。戦いに参加したファビウス氏族の男達はみな勇敢に戦い、前々回の執政官を務めたクィントゥス・ファビウスは最前線で剣を振るい、華々しい戦死を遂げた。このときの戦いは執政官のグナエウス・マンリウスが戦死するほど激烈なものであったが、エトルリア人は包囲殲滅され、ローマにとって比類ない勝利となった。元老院はこの勝利を祝って生き残った執政官であるマルクス・ファビウスの凱旋式を提案したが、マルクスはクィントゥス・ファビウスおよび同僚執政官の死を悼んで、凱旋式を辞退した。誰もが望む栄誉である凱旋式を自ら断ったことにより、ファビウス氏族は平民からも多くの賞賛を受け、翌紀元前479年の執政官選挙ではカエソ・ファビウスは貴族だけではなく平民の支持も受け再選された。
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