常葉会とは? わかりやすく解説

常葉会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 10:32 UTC 版)

賀古鶴所」の記事における「常葉会」の解説

賀古は医学部仲間鷗外と歌の交換をしている。井上通泰から白魚贈られて賀古が返礼つづった歌を聞くと、鷗外一首詠み手紙でその歌を受けた妹の小金井喜美子返歌書いたものが伝わっている。 賀古 隅田川 のもとに 舟うけて かすみの中にくみし白魚鴎外 春川日影にはえて さらさらと あみをすべりし 白魚やこれ小金井喜美子 ゆくりなく 汚れし耳を 洗ひけり かげもすみ田の花のした水 軍医長時代の賀古は中国出発する鴎外を歌で送った。 賀古 船出する 宇品の島も みけり 遙かに君を 送るにやあらん鴎外 さらばさらば 宇品島山 なれもまた 相見ん時は いかにかあるべき 賀古と鴎外1906年明治39年6月10日佐々木信綱小出粲こいで つばら)・大口周魚井上通泰浜町の『常盤と言う料亭招き新し短歌会を興すことを諮った。当時短歌旧派桂園派流れ)と新派正岡子規根岸短歌会など)に分裂しており、常葉会は短歌会の調和諮ることを目的として1906年明治39年9月23日第1回歌会が賀古邸で開かれる。月1回、第2土曜日山県有朋支援受けて飯田町の賀古邸と山県椿山荘あるいは古稀庵原則隔月催した。入撰作を纏めた常盤詠草』は第1編発刊1909年明治42年)から1917年大正6年12月まで全5巻刊行され集まり山県亡くなる(1922年大正112月)まで185続いている。

※この「常葉会」の解説は、「賀古鶴所」の解説の一部です。
「常葉会」を含む「賀古鶴所」の記事については、「賀古鶴所」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「常葉会」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「常葉会」の関連用語

常葉会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



常葉会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの賀古鶴所 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS