帝位獲得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/12 06:52 UTC 版)
イサキオス1世コムネノス (在位: 1057年 - 1059年)はマヌエル・エロティコス・コムネノスの息子であり、彼からコムネノス王朝が始まった。彼はミカエル6世ストラティオティコスのもとで東方のストラトペダルクを務めていたが、1057年にクーデターを起こして帝位についた。彼は様々な改革に着手したが、わずか2年後の1059年に臣下に退位させられ、修道僧となった。1081年、イサキオス1世の甥であるアレクシオス1世コムネノスが皇帝となった。この時を境として、それ以前の皇帝を輩出してきたスケレロス家やアルギュロス家などの貴族家系の後裔たちは、それまでの婚姻関係を通じてジョージア、ロシア、フランス、ペルシア、イタリア、ドイツ、ポーランド、ブルガリア、ハンガリー、セルビアなどに流出吸収されて消滅していった。このことも、コムネノス家が皇帝意を得る助けとなった。 コムネノス家は、以前に皇帝を輩出していたドゥーカス家と頻繁に婚姻関係を結んだ。アレクシオス1世コムネノスは、イサキオス1世コムネノスのあとを継いだコンスタンティノス10世ドゥーカスの娘エイレーネー・ドゥーカイナ(英語版)と結婚した。これによりコムネノス家とドゥーカス家が融合し、後のコムネノス家の人物の中にはコムネノス・ドゥーカスあるいはコムネノドゥーカイという家名を名乗ったものも少なくない。またコムネノス・ドゥーカス家からは、パレオロゴス家、アンゲロス家、ヴァタツェス家、ラスカリス家といった著名な貴族が分岐していった。例えばアンゲロス家は、アレクシオス1世コムネノスとエイレーネーの末娘テオドラを通じてコムネノス・ドゥーカス家の血を引き継ぎ、後に皇帝に即位する血統的根拠とした。テオドラの孫にイサキオス2世アンゲロス (在位: 1185年 - 1195年、1203年 - 1204年)やアレクシオス3世アンゲロス (在位: 1195年 - 1203年)がいる。
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