帆足杏雨とは? わかりやすく解説

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帆足杏雨

読み方ほあし きょうう

幕末・明治南画家豊後生。名は遠、字は致大、別号に聴秋半農。画を田能村竹田師事詩文帆足万里広瀬淡窓らに学ぶ。のち上京して浦上春琴にも画の教えを受け、頼山陽篠崎小竹らとも交流した竹田の正脈をよく伝えた独自の画風確立し、特に山水優れた明治17年(1884)歿、75才。

帆足杏雨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 13:51 UTC 版)

帆足 杏雨(ほあし きょうう、文化7年4月15日1810年5月17日) - 明治17年(1884年6月9日)は、幕末から明治時代に活躍した文人画家である。田能村竹田の高弟。日本最後期の文人画家のひとり。


  1. ^ 許永晝『読画稿』(文人画研究会、2015年8月刊)の解説によると、息子の帆足進・門人加納雨蓬・甲斐虎山よって杏雨没後に刊行された『杏雨餘滴』にも「梓嶺図」の題詩(画賛)が収録されるという(P.192~P.204)。この「梓嶺図」は同会のホームページ上に公開されている。


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