帆足まり子とは? わかりやすく解説

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帆足まり子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 01:18 UTC 版)

帆足 まり子(ほあし まりこ、1932年9月10日 [1]- 2003年12月27日)は、日本のラテン歌手。鹿児島市出身[2]

夫は元文化放送アナウンサーで同じくラテン歌手の三村秀次郎。

略歴

1952年から『S盤アワー』(文化放送)のディスクジョッキー(DJ)を長く務めたことで一躍有名に。よく文化放送のアナウンサーと誤解されがちだが、当時はアナウンサーではなく日本ビクター(現・JVCケンウッド)の音楽レコード事業部であるビクターレコード(現・ビクターエンタテインメント)の社員という立場だった[3]。元々は、同じビクターの歌手である宮城まり子がDJを務める予定であったものの、ビクター社内から難色の声が上がった為、番組が始まる3年前に入社した彼女を起用した[4]

帆足も本来歌手志望で(吉田正門下だった)、歌手デビューが決まるまでの間の繋ぎとしてビクターの総務部で勤務していたところ、ビクターのディレクターで『S盤アワー』を企画した小藤武門の目に留まり「歌手かDJか」の二択を迫られ、この際はDJの道を選んだ[5]。ただ吉田は後年になって、このときに歌手デビューさせなかったことについて「惜しいことをした」と語ったという[5]

番組の途中で日本ビクターを退職してフリーとなり、「S盤アワー」と同じ文化放送の「ミュージック・キャラヴァン」のDJも担当。

番組終了後はメキシコに渡り本格的にラテン歌手に転向。夫の三村とも「マリキータ&ジロー」というデュオを組んでおり[2]、同デュオ名義で『スペイン語会話』(NHK教育)にレギュラー出演していたこともある[6]。また日本ラテンアメリカ文化交流協会会長も務めた[2]

2003年12月27日、肝不全のため71歳で死去[2]

脚注

  1. ^ 「ミュージック・ライフ」(1957年9月号、シンコーミュージック)41ページ参照
  2. ^ a b c d 帆足まり子さん死去 ラテン歌手 - 47News・2003年12月27日
  3. ^ 木崎義二さん 2008年06月28日 - ドコモ団塊倶楽部
  4. ^ 「S盤アワーニュース 100週記念号」(1954年5月25日発行 日本ビクター宣伝部)
  5. ^ a b 第5スタジオは礼拝堂 第44章「S盤アワーの青い鳥は近くにいた」- 文化放送開局物語”. 文化放送 (2023年2月14日). 2023年2月21日閲覧。
  6. ^ アミーゴMUSICサロン - アミーゴ株式会社



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