市役所内左翼グループと連動した部落解放全国委員会の行政闘争
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「オールロマンス事件」の記事における「市役所内左翼グループと連動した部落解放全国委員会の行政闘争」の解説
市役所の左翼グループはこれを行動を起こす絶好の機会と捉え、旧知の仲であった部落解放全国委員会京都府連合会委員長朝田善之助、三木一平らに、この小説を被差別部落の悲惨さを興味本位に取り上げた差別小説として糾弾に立ち上がるよう依頼、解放委員会の名による『糾弾要綱』も執筆した。一方、京都市役所内部では同じグループが市長答弁の作成にも関与し、小説を誠に遺憾とし、同和行政予算の拡充に取り組むと市長に表明させた。 この結果、当時の京都市は1952年度には前年度の5.8倍にあたる4338万円の同和予算を計上した。 表面的に見ると以上の経過は、解放委員会の追及に対して行政側がその正当性を認め、予算の拡充を約束させるという体裁を取るように見え、運動団体が市を追及する際の鮮やかな模様を伝えるいくつかの「伝説」を生んだ。これ以降、部落解放同盟の中では、差別事件を梃子にして行政闘争に取り組み、被差別部落への同和予算を増大させるという方式の運動形態が定着した。この事件は、各地方の自治体における同様の行政闘争の嚆矢となった。この点について、『解放新聞』元主筆の師岡佑行は 「行政闘争の端緒をつくったのがオール・ロマンス闘争である」 「差別事件の責任を個人だけでなく、劣悪な部落の生活実態にその根拠を求め、行政の責任を緻密に、具体的に、反論の余地もないまでに説得的に<糾弾要綱(項)>によって追及し、大衆的な闘いを展開するなかで、市政の転換を求めたこの闘争はみごとであり、その後各地に展開する行政闘争の模範であり、今なお学ぶところは大きい」 と絶賛している。
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