市一中の併設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 08:54 UTC 版)
「兵庫県立夢野台高等学校」の記事における「市一中の併設」の解説
県二と二中の統合が校舎にこだわる当校の反対で解消されたため、「高校三原則」実現のための男女共学への話が難航。そのため、次に当校へ示された条件として、校舎を残すのならば 男女共学を拒否したまま新制中学校への移行(要するに格下げ) 男子校の神戸市立第一中学校(略称:市一中)との併設で新制高校を継続 の二者選択を迫られた。その結果、新制高校継続のため県立高校と市立高校という変則的な併設が行われることになり、葺合区から兵庫区に臨時移設されていた神戸市立神戸高等学校(学制改革により神戸市立第一中学校から校名変更)が1948年(昭和23年)5月に当校舎内に移転併設され、同9月には県二側が兵庫県立夢野台高等学校と改称された。 1949年(昭和24年)4月、小学区制実施により当県立市立併設校に編入された生徒は、一旦はくじ引きで県立側と市立側に振り分けられたが、生徒の猛反発を呼んだため、早急に両校が統合することを条件に、暫定措置として男子は市立神戸高校側、女子は県立夢野台高校側へと振り分けられた。市立側は同じく小学区制実施により市一中が当校舎内に移転する前に校地として使用していた葺合区に市立葺合高校を設置し1年生が入学したことから、9月に市立神戸高校の男子1年生全員を県立夢野台高校側へ帰属させ、2年生及び3年生は卒業まで兵庫県立夢野台高校と併設状態で神戸市立神戸高校に在籍させた。1950年7月1日に校名が「兵庫県立神戸市立神戸夢野台高等学校」とされたが、この名称は市立側の生徒が全員卒業する翌年3月末までとなり、市立側の市立神戸高校及び市立神戸夢野台高校は市立葺合高校として葺合区の校地へ復帰。県立側は兵庫県立神戸夢野台高校として存続した。併設時代は校歌は無く、その代用として「運動会の歌」が使用された。 当時の学年構成と卒業生呼称の一覧は以下の通り。 併設時代の修業期間一覧表 S23.44月新制開始5月併設開始 S24.4生徒振分 S25.47月校名変更3月併設終了 S26.4 S27.4 男子市神戸第1回生3年 市神戸第1回生 女子県夢野台第1回生3年 現在のY1 男子市神戸第2回生2年 3年 市神戸第2回生 女子県夢野台第2回生2年 3年 現在のY2 男子市神戸第3回生1年 2年 3年 市神戸第3回生 女子県夢野台第3回生県第二神戸女子高の1年 2年 3年 現在のY3 男子市神戸第4回生 暫定的に市神戸高の1年→県夢野台の1年 ↓と同じ ↓と同じ 現在のY4 女子県夢野台第4回生 県夢野台高の1年 2年 3年 県夢野台第5回生 1年 2年 3年 現在のY5
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