市ヶ谷記念館
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庁舎A棟のある場所にあった「1号館」の一部を同駐屯地内薬王寺門付近に移設復元したものである。旧1号館は、1937年に陸軍士官学校本部として建設され、陸士の座間移転後は陸軍予科士官学校本部となり、さらに予士の朝霞移転後の太平洋戦争中は陸軍省・参謀本部(大本営陸軍部)などが置かれていた。同館大講堂(陸士大講堂)は極東国際軍事裁判の法廷として使用された。1960年からは陸上自衛隊東部方面総監部が使用、1970年に三島事件の現場ともなった。防衛庁本庁の新庁舎建設・移転に伴い解体されたが、便殿の間(天皇の陸士行幸時に利用した部屋)や校長室(陸軍省時代は陸軍大臣室)を含む本部正面・車寄せや大講堂といった一部分のみを残し、1998年に現在の場所に移設された。
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