巨人の復調と北京オリンピック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 06:46 UTC 版)
「メークドラマ」の記事における「巨人の復調と北京オリンピック」の解説
巨人は自力優勝が消滅したが、7月初旬から鈴木が1番に定着。前年のリーグMVP・小笠原道大も復調。前記で述べた多くの若手・ベテラン選手も機能した。投手陣も先発要員としてエイドリアン・バーンサイドが途中加入。リリーフ陣は西村が離脱したものの、山口、越智、豊田清など、中継ぎ陣の層の厚さでカバーし、抑えのマーク・クルーンも含めた勝利の方程式が確立したことで試合運びが安定し始めた。これにより、7月11日には中日をかわして単独2位に立った。7月末のオールスター直前には首位阪神と9.5ゲーム差とし、その後も巨人は貯金を増やしていく。 この年の夏には北京オリンピックが控えていた。北京大会を最後に野球は正式競技から外れるため、星野仙一監督のもと、悲願の金メダルを目指して日本代表には各球団の主力が集った。巨人からは上原浩治と阿部慎之助、阪神からは藤川球児、矢野輝弘、新井が選出。オールスター直後から8月24日まで代表選手はペナントレースの戦いから離れるため、巨人は五輪期間中の阿部の代役として、6月中旬に横浜から真田裕貴とのトレードで鶴岡一成を獲得した。一方、阪神も藤川の代役として7月にクリス・リーソップを獲得。矢野の代役は控え捕手の野口寿浩を据えた。 しかし五輪が始まると両チームは明暗が分かれる。巨人は五輪期間中、6勝6敗で乗り切ったのに対し、阪神は5勝8敗と負け越した。阪神は新井を欠いたことで特に8月5日からの9試合を1試合平均2得点と貧打に泣き、その9試合で1勝8敗と急失速した。リーソップも防御率6.75と期待外れに終わり、優勝マジックも2度消滅した。 さらに阪神に追い打ちをかけるように、新井が前半戦から痛めていた腰を全治2ヶ月の疲労骨折と診断され、帰国後も戦列復帰ができない状態となった。8ゲーム差で迎えた五輪終了後初の直接対決3連戦では阪神が初戦を取った後、連敗して負け越し。阪神はここから9月5日まで5連敗を喫した一方、巨人は五輪メンバー復帰から9月5日までの11試合を9勝2敗と猛追を見せたことで、ゲーム差は3.5まで縮まる。
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