工事現場の性格と安全管理の近代化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 15:20 UTC 版)
「福島第一原子力発電所1号機の建設」の記事における「工事現場の性格と安全管理の近代化」の解説
『電気情報』1969年10月号での座談会にて建設所長代理の榎本穣は工法、環境条件が「水力と火力の合の子のような現場」でしかも「両者のむつかしいところを背負い込んだ現場」と評している。具体的には採石、築堤工事、標高10mまでの掘削工事などはダム建設の現場に近く、水力の経験者がいなければ勤まらないのに対して、機器関係は火力に似ているという。 建築工事に当たって鹿島はGEの指導の元、当時としてはかなりの規模の機械力を投入した。また、1号機の工事は労働安全衛生法の成立前に完了したが、安全衛生についても過去とは一線を画す近代化に手が付けられた。足場一つとっても、一昔前の丸太による足場ではなく、鋼製パイプや組立式のビティ足場を使用し、当時鹿島が持っていた足場資材約30%が1号機の建設に投じられていた。他にも階段に手摺をつけるなど足場の仮設備がしっかりしていたため、本館の基礎工事着手から2年半を経過して、原子炉建屋の高さが50mに達した段階でも墜落災害は1件も無い状態を更新し続けていた。榎本穣はつまらない小さな事故は起きているものの「かっての水力一〇〇〇キロワットに一人、火力一万キロワットに一人、といった事故からは格段に建設現場の安全管理は良くなっている」と墜落等の事故・災害について述べている。また、建築工事と機械据付の工事が同時に進行することの多い現場だったが、上下(同時進行の)作業が行われる際には安全ネットを貼ったり、時間調整を行って注意したという。
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