巣守神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 23:24 UTC 版)
中島には巣守神社が鎮座する。この名を冠した神社は日本全国を見渡しても新潟県に14社と数少なく、北海道内ではこの地の社が唯一である。 1901年(明治34年)、新潟県北魚沼郡広瀬村出身の佐藤栄次郎が、自家の守り神として故郷の巣守神社の神符を持参して、野幌北越殖民社農場に入った。しかし佐藤は、土地が狭く水害の多い野幌に数年で見切りをつけ、対雁川下に再入植することとなる。 おそらく1935年(昭和10年)に地域が「中島」と改称されたころ、住民たちを団結させるための鎮守の杜が希求され、佐藤が持参した巣守神社の神符が地域全体の守り神へと昇格したのではないかと考えられる。 当初の神社は石狩川右岸に設けられたが、水害や築堤工事で移転を重ね、1955年(昭和30年)ころ現在地に落ち着いた。このとき拝殿も新築されたが、その後さらに雨雪の害を被らないようにと集会場が建てられ、その中に拝殿や神殿が設けられることとなった。 また鳥居の右脇には土俵があり、地域の青年力士が毎晩稽古に励む時代もあったほか、1970年代までは祭りの子供相撲も執り行われた。 1985年(昭和60年)ころに篠津神社への合祀の話が持ち上がったが、実現はしなかった。
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