川越城本丸御殿とは? わかりやすく解説

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川越城本丸御殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 02:56 UTC 版)

川越城」の記事における「川越城本丸御殿」の解説

本丸御殿は、1848年嘉永元年)、松平斉典17万石時代建てられ入母屋造りで、豪壮な大唐破風霧除けのついた間口19間・奥行5間の大玄関車寄せをもつ。36畳の大広間は、板間玄関区切られ、さおべり天井奥行3間の座敷には9尺の廊下四方囲っている。建坪165坪である。 当時16棟、1025坪の規模をもっていた。明治に入ると廃城令多く建物解体され、現在残る建物玄関大広間部分家老詰所のみとなっているが、本丸御殿大広間川越城の他には高知城にしか現存せず、全国的に見て貴重な遺構である。玄関大広間部分入間県県庁入間郡公会所、更には煙草専売局淀橋支局川越分工場へと転用され、1933年昭和8年)には川越武道奨励会修練道場となり、名称も初雁武徳殿変更戦後川越市第二中学校(現在は初雁中学校)の校舎屋内運動場として使用されていたが、1967年昭和42年)、県指定有形文化財指定された。家老詰所については、解体後上福岡市(現:ふじみ野市)の民家移築されていたのを再度移築したものであり、位置以前とは異なっている。こちらも1991年平成3年)に県指定有形文化財追加指定された。2008年平成20年10月から2011年平成23年3月まで保存修理工事が行われた。

※この「川越城本丸御殿」の解説は、「川越城」の解説の一部です。
「川越城本丸御殿」を含む「川越城」の記事については、「川越城」の概要を参照ください。

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