川越城下の旧町名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 08:13 UTC 版)
旧藩時代の川越城下には、多くの町名が存在した。うち、下記の「十ヶ町四門前」と呼ばれる町々は、寛永年間、藩主松平信綱による城下整備によって定められたといわれる。 上五ヶ町:本町、高沢町、喜多町、江戸町、南町 下五ヶ町:多賀町、鍛冶町、志義町、上松江町、志多町 四門前:養寿院門前、行伝寺門前、妙養寺門前、蓮馨寺門前 城下および周辺には他にも以下のような町名が存在した。城下町の発展にともない、隣接する郷村の地域も町地化し、「郷分町」と称されるようになった。 清水町、竪久保町、北久保町、南久保町、坂下町、坂上町、通町、一番町、二番町、三番町、相生町(もと行養町)、鷹部屋町、新田町、西町、黒門町、橘町、中原町、瀬尾町、大工町、宮下町、宮元町、神明町、石原町、連雀町、松江町、久保町、六軒町、猪鼻町、脇田町、堺町 これらの町名は、1889年(明治22年)の町村制施行により入間郡川越町が成立してからは、同町の大字川越、大字松郷、大字脇田などの字名となった。 川越市では、日本の他地域に先駆けて、1961年(昭和36年)から町名地番整理事業が開始された。これは、川越の中心市街地においては、字の境界や地番が複雑であったため、それをわかりやすくするのが目的であった。「住居表示に関する法律」が施行されたのは1962年であるが、川越市の町名地番整理事業はその前年から開始されたもので、モデルケースとして実施されたものである。新町名には、旧町名を引き継いだものもあるが、幸町、末広町のように新規に佳名を付したものもある。
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