川上監督 - 第2次藤田監督時代とは? わかりやすく解説

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川上監督 - 第2次藤田監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 11:59 UTC 版)

読売ジャイアンツ」の記事における「川上監督 - 第2次藤田監督時代」の解説

1961年 - 1974年 最も長期間わたって使用されデザイン2016年現在)。黒とオレンジ組み合わせ戻りホーム用クリーム地、ビジター用がブルーグレーになり、首、パンツに黒とオレンジダブルラインが入る。また首、ベルトループに黒とオレンジライン入り川上哲治監督率いV9時代(1965〜1973年)に象徴される常勝巨人シンボルとなる。長嶋茂雄引退川上哲治監督勇退1974年まで使用された。1972年頃、伸縮性優れたニット生地に切り替わっている。 1975年 - 1980年 長嶋茂雄第一次監督就任に伴い、「GIANTS」「TOKYO」(胸ロゴ左袖ロゴ)の書体サンフランシスコ・ジャイアンツと同タイプのものになり、胸番号背番号書体も変わる。さらに首のライン両袖およびパンツラインシングルになり太くなる。このデザインは現監督原辰徳1980年度ドラフト会議指名され選手入団会見(原のみ単独)まで使用されている。1976年より、ホーム用左袖の「TOKYOロゴが「YOMIURI」に変わり背番号の上英文表記ローマ字)の選手名が入る。 1981年 - 1992年 藤田元司監督就任に伴いV9時代タイプに戻るが、引き続き選手名入りホーム用左袖が「YOMIURI」となっている。マイナーチェンジ繰り返し基本デザイン1992年まで使用された。1984年のみ、球団創立50周年エンブレム右袖に入る。 1986年より、ボタン式からプルオーバー式のVネックになる。 1990年より、ホーム用クリーム地からオフホワイト地に変わる。

※この「川上監督 - 第2次藤田監督時代」の解説は、「読売ジャイアンツ」の解説の一部です。
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