山崎派退会後
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2003年の第43回衆議院議員総選挙では栃木1区で当選し、3年ぶりに国政に復帰した。当選後、竹下派の流れを汲む橋本派に入会。2005年の第44回衆議院議員総選挙で再選。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では公明党、栃木県建設業協会の政治団体「県建設業協会政治連盟」の推薦も受け自民党公認で出馬するが、栃木1区で比例復活もならず落選した。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では、栃木1区で当選し、三たび国政に復帰した。2014年の第47回衆議院議員総選挙で再選。 2015年、衆議院憲法審査会で、自民党推薦の参考人長谷部恭男早稲田大教授が政府提出の平和安全法制を違憲と批判する異例の事態が起きた。与党側責任者の審査会幹事で自民党憲法改正推進本部長の船田は人選ミスだったと釈明するも、山東昭子・山東派会長は「誰も責任を取らず、ただ曖昧にお茶を濁すという問題ではない。今後の国会運営への影響を危惧する」と指摘。その後実際に憲法審議が停滞すると党内から批判が高まり、同年10月には同役職を実質的に更迭されることとなった。 2017年の第48回衆議院議員総選挙で12選。2018年9月14日、宇都宮市内の講演で20日に行われる自民党総裁選挙で石破茂に投票しない事を断言し、当日は白票を投じた。2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で13回目の当選。 参院竹下派から次期会長に推す声があったが、茂木敏充が会長となりこの話は立ち消えとなった。 同年11月25日、新たに発足した茂木派の役員人事において顧問に就任した。
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