小野 元之とは? わかりやすく解説

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小野元之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/09 13:17 UTC 版)

おの もとゆき

小野 元之
生誕 (1944-11-25) 1944年11月25日(80歳)
日本岡山県高梁市
国籍 日本
出身校 京都大学法学部
職業 官僚教育者
肩書き 初代文部科学事務次官
日本学術振興会理事長
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小野元之(おの もとゆき、1944年昭和19年)11月25日[1][2] - )は、日本文部官僚関西大学客員教授。同志社大学客員教授。初代文部科学事務次官独立行政法人日本学術振興会理事長を歴任。学校法人城西大学理事長代理、パナソニック教育財団理事長、学校経理研究会理事長を兼任。

略歴

2002年の新学習指導要領施行に基づく「ゆとり教育」の行き過ぎに対して小野次官や遠山敦子文科相は危機感を共有し、2001年1月に遠山文科相が発表した緊急アピール「学びのすすめ」で、「学習指導要領は最低基準」だとしてそれまで許可されなかった学習指導要領を超える記述が容認された。学習指導要領施行前にテレビ、ラジオ、新聞などで責任者として賛成の立場を表明しながら「ゆとり教育」へ理解を求めたが、「3割カットするというのは間違いです。3割カットしません」「全員に100点を取ってもらうというのは間違いです」などマスコミ報道や広まった誤解について修正する発言がみられた。
2003年に中央教育審議会は学習指導要領の一部改訂を答申した[6]

  • 2003年(平成15年)2月 - 日本学術振興会理事長
  • 2004年(平成16年)4月 - 独立行政法人日本学術振興会理事長
  • 2012年(平成24年)4月 - 学校法人城西大学理事
  • 2015年(平成27年)
    • 4月 - 瑞宝重光章
    • 6月 - 公益財団法人パナソニック教育財団理事長
  • 2016年(平成28年)12月- 学校法人城西大学理事長代理

社会的発言

  • 毎日新聞(2001年8月20日)

「大学では過激な学生運動をしていた。権力を倒すには暴力が必要であると考え本気でデモもした。」「しかし本当に世の中を変えるには内部に入ってやらねばと公務員になりました。」

社会的活動

受賞・受章

脚注

先代
佐藤禎一
文部事務次官
第64代:2000年 - 2001年
次代
廃止
先代
-
文部科学事務次官
初代:2001年 - 2003年
次代
御手洗康



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