対空兵器の管制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 01:28 UTC 版)
戦間期には、防空という新しい任務が導入された。当初は対水上用と共通の方位盤が用いられていたが、後に専用機も開発された。水上目標よりも高速の航空機の位置(旋回角および俯仰角)を求めるには、手動で目標を追尾する方位盤は必須とされた。この方面ではアメリカ海軍が先行し、1922年よりシステム開発に着手、1927年には方位盤Mk.19を完成させた。本システムでは測距儀は別置き、射撃盤は組み込みとなっていたが、1930年代に入って開発されたMk.28では測距儀も組み込まれ、更にMk.33では動力駆動となった。これらのシステムは、初期推定した目標高度や速力を利用して未来位置の予測計算および弾道計算を行うという線速度式(linear rate system)を採用していた。 またこれとは別に、ジャイロスコープ内蔵の照準器Mk.14を中核として、これによって目標を手動光学追尾することで発生するジャイロスコープのプリセッション(首振り運動)から見越角(lead angle)を求める角速度式(lead computingまたはrelative rate system)のシステムも開発された。Mk.51では目標距離を推定して手動調定していたが、続くMk.52では照準器をMk.15に更新するとともにMk.26測距レーダーを装備した。またMk.63では、照準器での目視追尾が困難な場合、レーダーのみによる盲目射撃も可能となった。 そして1942年より開発されたMk.56では、レーダー技術やサーボ技術の集大成として、盲目射撃に加えて、レーダーによる自動追尾に対応した。照準方式は直視式、目標の運動は角速度で計測されているが、見越角計算では線速度に直して使用された。
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