富士急行列車脱線転覆事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「富士急行列車脱線転覆事故」の解説
1971年(昭和46年)3月4日8時25分ごろ 富士急行(現:富士山麓電気鉄道)大月線月江寺駅の富士吉田駅(現:富士山駅)方踏切(緑ケ丘第二踏切。大月駅起点21.990 km。第1種自動)で、河口湖発大月行き電車(3100形3103+3104)が、踏切内に進入した小型トラック(積み荷の落下に気を取られブレーキ処置をしないまま運転者が下車したため、転動し遮断機を突破したもの)と衝突。車両の下に引きずり込まれたトラックが空気溜めを破損したためブレーキが全く使えなくなり、電車は逸走し約4 kmを暴走。月江寺 - 暮地(現在の寿)間の4駅を通過した後、暮地 - 三つ峠間(最急40 ‰の下り勾配)のカーブに猛スピードで進入し、進行方向左側の沢に転落し、後部車両が大破した。乗客約120名のうち17名が死亡、69名が負傷した。トラック側2名が負傷した。 この事故後、空気ブレーキの系統を多重化するなどの対策が採られるようになった。また、代替に5000形が投入されたが、同社ではこの事故以降、車両番号の末尾が忌み番である「4」および「9」の車両は存在しない(例:のちに登場した1000形のうち、1204 - 1304は欠番)。2両固定編成の5700形の場合、本来「4」と編成される「3」、および「9」と編成される「0」の車両も存在しない。 事故現場付近には慰霊碑が建てられている。
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