寄付活動と社会活動
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吉郎兵衛は個人財産で多くの寄付を行い、それにふさわしい名誉を得た。すでに明治20年(1887年)12月に海防費として7000円を寄付し、銀製黄綬褒章を下賜されている。また大正2年(1913年)6月に官幣大社生国帰魂神社建築費として1000円、大正9年(1920年)8月に恩賜財団済生会へ5万円を寄付したため、大正10年(1921年)10月に紺綬褒章を下賜された。さらに大正9年(1920年)9月に明治神宮奉賛会へ1万円、大正12年(1923年)11月に大阪医科大学新築費として1万5千円を寄付したため昭和4年(1929年)2月に紺綬褒章に付すべき飾版一個を下賜されている。また日仏文化協会に1000円を寄付して、フランス政府からシュパリエ・デュ・ドラゴン・ダンナン勲章を受けた。社会活動としては、恩賜財団済生会(5万円寄付)、財団法人報効会(1万円寄付)、日本経済連盟の各評議員、日本赤十字社(3万円寄付)の商議員、汎愛教育会懇和会長(汎愛尋常小学校へ7000円寄付)、大阪市天王寺区青年訓練所振興委員をつとめた。また大正7年(1918年)の米騒動の際に救済費として3万円、大正12年(1923年)の関東大震災の義捐金として10万円を寄付し、明治20年(1887年)から昭和期にいたる間の寄付額は、38万6000円に達している。山口吉郎兵衛は昭和25年(1950年)9月に山口合資会社を解散した後、昭和26年(1951年)10月2日に死去した。 娘婿に辰馬本家酒造14代当主の辰馬吉男、その長男・辰馬章夫は辰馬家15代目当主となった。
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