実業界・政界にて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 05:21 UTC 版)
「藤村義朗 (政治家)」の記事における「実業界・政界にて」の解説
九州学院(熊本済々黌)教授を経て、1894年(明治27年)4月、三井鉱山会社に入社し修業生となる。以後、庶務課勤務、本店事務員、兼三井物産参事などを務めた。1898年(明治31年)1月、三井物産に移り、参事、秘書課主任、船舶課主任、口之津支店長、船舶部長、ロンドン支店勤務、同支店長心得、本店勤務、本部参事、人事課長兼調査課長、上海支店長などを歴任。1918年(大正7年)1月、取締役となった。 1909年(明治42年)2月、父の死去に伴い男爵を襲爵。1916年には上海公共租界工部局董事会委員に当選される。1918年7月10日、第5回貴族院男爵議員選挙にて貴族院議員に選出され、公正会に属す。以来、第6回貴族院男爵議員選挙、第7回貴族院男爵議員選挙においても連続して貴族院議員に選出され、死去するまで活動した。1924年(大正13年)1月、清浦内閣の逓信大臣に就任し、同年6月に同内閣が総辞職するまで在任。 その他、上海紡織有限公司専務取締役、大正日日新聞社長、全国養蚕組合連合会会長、国際観光委員会委員、国立公園委員会委員長などを歴任した。 1933年に死去。しかし、継承者がいなかったことから、爵位が受け継がれることはなかった。
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