実吉捷郎とは? わかりやすく解説

実吉捷郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 03:02 UTC 版)

1949年頃の近影(アサヒグラフ掲載)

実吉 捷郎(さねよし はやお、1895年明治28年)1月20日 - 1962年昭和37年)2月15日)は、日本独文学者翻訳家

経歴

1895年に実吉安純の六男として東京に生まれる。 東京帝国大学卒業後、水戸高等学校(旧制)[1]府立高等学校などで教師生活を経て、1949年旧・東京都立大学教授となる。 後に桐朋学園大学教授、立正大学教授。トーマス・マンなど近代ドイツ文学の紹介で貢献的な役割を果たした。

一時期は伯爵日野資秀の三女と結婚し、婚姓から「日野 捷郎」という名前で著作活動をした。義兄日野資謙の死去に伴い、1925年6月1日に伯爵を襲爵[2][3]するも、1931年2月27日に隠居し[2][4]、同年4月10日に離婚[2]したため復姓した。

長男日野資純が爵位を継ぎ、成人後は国語学者(静岡大学教授ほか)となった。再婚し生まれた次男実吉晴夫(1940 - 2003)は、ドイツ文学者(北里大学教授)でシューベルトの歌曲の翻訳などをした。

府立高等学校時代には、同校の校歌を作曲をした。教え子に徳永康元などがいる。

著書

  • 『つばくらめ 実吉捷郎遺稿集』(同学社) 1963

翻訳

上記の大半は電子書籍(Kindle版ほか)で再刊

脚注

  1. ^ 『岫雲録』吾妻書房、1964年、12頁。 
  2. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成』下巻、410頁。
  3. ^ 『官報』第3831号、大正14年6月2日。
  4. ^ 『官報』第1258号、昭和6年3月12日。

参考文献

外部リンク

日本の爵位
先代
日野資謙
伯爵
日野家第3代
1925年 - 1931年
次代
日野資純




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「実吉捷郎」の関連用語

実吉捷郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



実吉捷郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの実吉捷郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS