完全観測の仮定に対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 17:01 UTC 版)
「ゲーム理論」の記事における「完全観測の仮定に対する批判」の解説
ゲーム理論において動学的環境ではプレイヤーが互いの行動を完全に見えると仮定されることが多いが、このような完全観測(英: perfect monitoring)の仮定に対して次のような批判がある。 コモンズの管理に対するゲーム理論的な含意を実証研究によって明らかにした業績で2009年にノーベル経済学賞を受賞したエリノア・オストロムは、繰り返しゲームに対して次のように述べている。 Some recent theoritical models of repeated situations do predict that individuals will adopt contingent strategies to generate optimal equilibria without external enforcement, but with very specific information requirements rarely found in field settings. — Ostrom, E. (2015) Governing the Commons また、東京大学名誉教授の岩井克人は2015年に雑誌『経済セミナー』の「経済学はどこから来て、どこに向かうのか?」という鼎談企画の中で「最後に、経済学は今後、どこに向かっていくのかというテーマで、少しお話しいただければと思います。」と質問されて次のように答えている。 ここ20年くらい、ゲーム論的な立場から社会を見る経済学があまりにも強くなりすぎたと思っています。ゲーム論的な世界とは結局、顔の見える世界の話です。しかし、私は経済学の中で一番重要なのは、やはりアダム・スミスの思想だと思っています。それは、お互いに顔の見えない人間同士が築きあげる社会とはどのようなもので、どうすれば良くなるのかについての思想です。(中略)こういった視点が、ここ20〜30年のゲーム論の発展によって消えてしまったことは残念です。 — 岩井克人「経済学はどこから来て、どこに向かうのか?」、2015年
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