宇高航路での運航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/01 16:03 UTC 版)
「しおかぜ (宇高連絡船)」の記事における「宇高航路での運航」の解説
当時、国鉄の宇高航路ではホーバークラフトの「とびうお」が就航していたが、GW・盆・年末年始などの利用客増により、また、ホーバーの定期検査による休航にも備えて、予備の速い船が必要となった。先代のホーバー「かもめ」が保守基地に残されてはいたが、船体故障が生じていた。 そこで、1985年(昭和60年)12月28日から1986年(昭和61年)1月7日まで、高速艇「ひかり2号」を四国フェリーから借り受けて運航。これが好評となり、次いで高速艇「プリンセスオリーブ」を両備運輸から借り受け、1986年3月1日 - 14日と7月1日 - 7日の期間で運航した。「しおかぜ」は1986年7月8日から就航し、同年の秋以降も継続的に運航された。所要時間は29分。宇高航路のホーバーが、乗降の際に陸上でなく浮桟橋を使っていたので、高速艇も同じ乗り場から発着していた。翌年、国鉄の分割民営化によりJR四国が運航を引き継いだ。 1988年(昭和63年)4月9日、翌日からの瀬戸大橋開通に伴い、JRの快速電車マリンライナーで海を渡れるようになるため、JRの宇高航路では連絡船とホーバークラフトが廃止。高速艇は「JR宇高高速ライン」と新たに名付けられ「しおかぜ」による定期便として存続。茶屋町-宇野間に短縮された宇野線の快速電車(数年で廃止)と接続が取られ、急行料金もホーバーと同額だった1100円から700円に値下げされた。船内ではおしぼりやアイスもなかの無料サービス、自由に使える双眼鏡の設置などもあったが、旅客の大多数が瀬戸大橋利用へシフトしていく中「しおかぜ」の利用客は激減。便によっては乗客0名の場合もあった。 1990年(平成2年)3月31日の運航を最後に、JR四国は高速艇の1年間運航休止を決定。その後特に需要も見込めなかったため、再開されないまま1991年(平成3年)3月15日を以て廃止。留め置かれていた「しおかぜ」はその後、海外に売船された。
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