学生時代 - Zi:KiLL加入・脱退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 12:29 UTC 版)
「yukihiro」の記事における「学生時代 - Zi:KiLL加入・脱退」の解説
yukihiroがドラムを始めたのは高校入学の時だったという。入学祝いを貰い、それでギターを買おうと楽器店へ向かったが気に入るものが見つからず、ギターと同じフロアに置いてあったドラムセットに一目惚れし、ドラムを始める。そのドラムセットがタムやシンバルがきっちりと組み込まれていたことを気に入ったという。「跳ね返りが悪くなる」という理由で防音マットも敷かずフルセットで叩き、近所から苦情が来たため、市役所の訪問を受けたことがあるという。結局、叩く時間を決めることで、事態は収拾された。そして高校入学後から髪を伸ばし始め、バンド活動を始めた。 高校時代はバンド活動に傾倒し、次第に学校へ行く意味を見失い、退学しようと親に相談したという。ただ、親にかなり怒られたため、高校を卒業後し千葉商科大学へ進学することを決断する。大学合格時も進学を辞退しようとしたが、高校の教師から「入りたくても入れなかった人もいる。お前が合格した代わりに誰かは落ちているんだ」と諭され、大学に進学する事となった。ちなみに大学を選んだ理由は「家から通えるから」だったという。 大学在学中に、東京ヤンキースを結成する前のUME、NORIとGUERRILLAを結成。1989年6月11日には、GUERRILLAとして目黒鹿鳴館でのライヴを敢行。このライヴを見ていたKEN(ZI:KILL)がyukihiroを誘い、そのままZI:KILLに加入した。その後2枚のアルバム制作に参加したが、そのレコーディング終了後の1990年12月28日にZI:KILLを脱退することとなる。バンドを脱退した理由は、ロンドンでのレコーディング中にボーカルのTUSKが「バンドを辞める」「yukihiroがいなければ残る」と言い出したためで、結果バンドに途中加入したyukihiroが抜けることとなった。2006年の雑誌のインタビューにおいて、yukihiroは「その頃の僕のフェイバリットはミニストリーで。もっと極端なものがカッコいいと思ってたんですよね。だけどその頃のZI:KILLは、もっと普遍的なものを目指そうとしてるような、そんなふうに感じて。僕は後から入ったっていうのもあったけど、もっと突き詰めたかった。まぁ、その時は若かったんで、妥協できなくなってしまった」「僕以外のメンバーも、違和感を感じてたと思うんですけどね、音楽的な部分でも。"何であの曲にあんなドラムのパターンをつけるんだ"、って。"もうちょっとシンプルなドラム付けてくれればシングルになるのに"とか」と述べており、他のメンバーとの間で音楽的な隔たりが生じていたと振り返っている。ZI:KILLを脱退した途端に、レコード会社の人間に見放されたため、初めて訪れた海外で放り出される結果となった。
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