妥協案の拒否と退位の意思表示
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「ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)」の記事における「妥協案の拒否と退位の意思表示」の解説
1862年8月4日の衆議院予算委員会は軍制改革の予算について「財政における軍事偏重が過ぎる故に特別会計としても認められない」と決議した。しかし委員のうち進歩党のカール・トヴェステン(ドイツ語版)、中央左派のフリードリヒ・シュターヴェンハーゲン(ドイツ語版)とハインリヒ・フォン・ジイベル(ドイツ語版)の三者はドイツ問題解決のため軍の強化自体は必要不可欠と考えており、また争議が激化してヴィルヘルムが強硬保守内閣を誕生させる恐れがあることから政府と妥協する必要があると考えていた。彼らは兵役2年と多少の軍事予算減額だけを条件とした妥協案を提出した。 ヴィルヘルムに妥協の意思はなく、彼は衆議院を無視して無予算統治で軍制改革を強行する決意を固めたが、ハイトが無予算統治は憲法上の根拠がないとして反対した。さりとて解散しても良い選挙結果になる見通しはなかったので、陸相ローンは上記の妥協案で妥協する決意をし、9月17日の衆議院本会議でそれを発表した結果、衆議院も融和的な空気になった。しかし同日の国王臨席の閣議において閣僚たちが次々と妥協案に賛成する中、ヴィルヘルムは「3年兵役制が拒否されるのであれば退位する」旨を宣言した。この脅迫に閣議の空気はすっかり変わり、ハイトとベルンシュトルフをのぞく全閣僚がヴィルヘルムの無予算統治路線を無条件で支持する旨を表明した。ローンは翌18日に前日の妥協案を飲む旨の発言を撤回し、それに激怒した衆議院は再び政府と徹底抗戦の構えを見せ、妥協案を圧倒的多数で否決した。 これに対して弟カール王子や侍従武官長グスタフ・フォン・アルヴェンスレーベン(ドイツ語版)中将、軍事内局局長エドヴィン・フォン・マントイフェル中将らは衆議院に対する軍事クーデタを起こすべきことを上奏した。一方内閣指導者ハイトはなおも兵役2年で妥協するよう進言し続けた。ヴィルヘルムにはクーデタの意思も妥協の意思もなく退位の準備を開始した。しかし皇太子フリードリヒは父の退位を諌止していた。9月19日の閣議も内閣は分裂状態であったが「国王の退位は王権の継続的弱体化を招く」としてヴィルヘルムの退位を諌止することでは一致した。この閣議の後にハイトは無予算統治を行おうとする内閣には所属できないとして辞表を提出したのでヴィルヘルムは辞職を許可し、内閣は指導者を失って事実上崩壊した。
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