奥会津編み組細工
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奥会津編み組細工 |
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おくあいづあみくみざいく |
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木工品 |
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手さげかご、抱えかご、肩かけかご、腰かご、菓子器、米研ぎざる、小豆漉しざる、そばざる |
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福島県大沼郡三島町の荒屋敷遺跡において、縄や籠の編み組等の断片が発掘されており、縄文時代より編み組の技術・技法が存在したことが明らかとなっています。「会津農書」には、会津地方において野草の縄をもって籠を作っていると記されており、「東遊雑記」には、現在の三島町近郊において山菅(ヒロロ)を材料として蓑などの編み組細工が作られていると記されています。また「伊那伊北谷四ヶ組風俗帳」には、マタタビの蔓を細くして「笊」を作り、山ブドウの皮で袋網(籠)を作っていたと記述されていることから、この時代においても、ヒロロ細工、マタタビ細工、山ブドウ細工が日常の生活用品として作られていたことがうかがわれ、今日まで受け継がれています。 |
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福島県 |
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平成15年9月10日 |
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奥会津地方の山間部で採取されるヒロロ、山ブドウやマタタビなどの植物を素材とする編み組細工で、山間地における積雪期の手仕事として、日常の生活に用いる籠や笊などが伝承されてきました。 現在では、福島県大沼郡三島町を主な産地とし、ヒロロ、山ブドウ、マタタビ素材とした手さげ籠、抱え籠、肩かけ籠・菓子器・炊事用具などが作られています。自然素材を用いた堅牢で素朴な手編みの良さが特徴です。 |
奥会津編み組細工
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/09 02:11 UTC 版)
奥会津編み組細工(おくあいづあみくみざいく)は、福島県奥会津地方の大沼郡三島町を中心に伝承されている伝統工芸品。ヒロロ、マタタビ、山ブドウなどの植物を素材とし、日常生活で用いる編みカゴ、笊などが作られる[1]。2003年(平成15年)に国の伝統的工芸品に指定され、農民の工芸が指定されるのは全国初めてであった[2]。
概要
三島町では、冬季の農家の手仕事として、農作業具や生活用具が作られてきた[3]。素材を山野で採取し、必要なものを必要な分だけ作るのが特徴[4]。
1981年(昭和56年)、技術伝承や町づくりを図るべく、工業意匠学の宮崎清千葉大学講師の協力により、「生活工芸運動」が提唱された[3][5]。以来、町ではものづくり教室や生活工芸品展などが行われている[6]。
施設・イベント
1986年(昭和61年)、生活工芸の拠点施設として三島町生活工芸館がオープンした[3]。1991年(平成3年)には貸し工房「工人の館」が開設された[5]。
三島町では毎年3月に生活工芸品展が開かれる[7]。毎年6月には、ふるさと会津工人まつりが開催される[7]。
脚注
- ^ “奥会津編み組細工”. 伝統工芸 青山スクエア. 伝統的工芸品産業振興協会. 2025年7月8日閲覧。
- ^ 「初の名誉町民に 宮崎清先生」『広報みしま』第174巻、三島町、2007年9月、2-3頁。
- ^ a b c 「特集:町づくりの軌跡 第1章 生活工芸 ものづくりは生きがい」『広報みしま』第200巻、三島町、2009年11月。
- ^ 三橋俊雄、宮崎清、松林健一「ものづくりを通した自然と人間の共生に関する行動と概念:福島県三島町の自然に働きかけるものづくりの実態調査を通して」『デザイン学研究』第42巻第5号、日本デザイン学会、1996年、doi:10.11247/jssdj.42.71。
- ^ a b 『三島町 生活工芸村構想〜生活工芸を核とした定住促進ビジョン〜』(レポート)三島町、2017年3月 。
- ^ 宮崎清、三橋俊雄、西牧研治「過疎地域・福島県三島町における生活工芸運動:内発的地域開発計画の特質(2)」『デザイン学研究』第83号、日本デザイン学会、1991年、doi:10.11247/jssdj.1991.99_1。
- ^ a b “平成19年度過疎地域自立活性化優良事例表彰パンフレット”. 総務省. 2025年6月25日閲覧。
関連項目
- 三島町#ふるさと運動
- ブリコラージュ
- 会津塗
- 会津本郷焼
- 奥会津昭和からむし織
外部リンク
- 奥会津編み組細工について - 奥会津三島編組振興協議会
- 東北の伝統的工芸品:奥会津編み組細工 - 東北経済産業局
- 生活工芸運動とは - 三島町 ふるさと運動50周年記念特設サイト
奥会津編み組細工と同じ種類の言葉
- 奥会津編み組細工のページへのリンク