大統領退陣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 10:05 UTC 版)
「アリー・アブドッラー・サーレハ」の記事における「大統領退陣」の解説
2011年11月23日にサーレハはサウジアラビアのリヤドを訪問し、アブド・ラッボ・マンスール・ハーディー副大統領らへの30日以内の権限移譲などが盛り込まれた湾岸協力会議(GCC)や欧米による調停案に署名した。これにより12月23日をもって暫定政権に移行し(ただし名目上の大統領職にはとどまる)、その後60日後の2012年2月21日に大統領選挙が行われることが確定。サーレハは大統領選挙をもって正式に大統領を退くこととなった。この背景には、長引く紛争による大統領派の弱体化が指摘されている。アメリカや日本、EUなどはこれを支持する声明を発表したが、一方でサーレハは退陣の見返りとして訴追免除と身の安全が保障されることとなったことに反政府派が反発。2012年1月21日に議会が訴追免除を可能にする法律を可決させ、翌22日にはサナアで数千人による抗議デモが発生した。 訴追免除の法律が成立した翌日に治療目的で渡米、テレビ演説で国民に対し謝罪の言葉を口にした。2月21日に行われた大統領選挙ではアブド・ラッボ・マンスール・ハーディーが当選、2月25日にハーディーは議会において大統領就任を宣誓した。これによってサーレハは正式に大統領職を退き、2月27日に権限委譲式典を行った。ただし同選挙は信任選挙という側面が強く、候補者はハーディーの一名のみで選択肢は存在していない。またハーディー副大統領はサーレハの腹心として政権運営に深く関わり続けた人物であり、サーレハ自身も先述の通り後継者に指名している。 こうした点からハーディー当選は独裁政権の後継であると考える反サーレハ派による選挙ボイコットが呼びかけられた。結果、有効票内の得票率が99.8%を記録する一方で国民の投票率は66%に留まっている。オバマ米大統領は選挙自体は公正に行われた事を高く評価し、「平和的な解決」と結果を支持している。自らが望む形での決着に加え、議会内の最大勢力である国民全体会議党首としてサーレハの影響力は維持されている。
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