大学当局の抑圧と機動隊出動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 23:35 UTC 版)
「日大紛争」の記事における「大学当局の抑圧と機動隊出動」の解説
5月31日、日大全共闘は理事との大衆団交を申し込んだが、大学当局は「全学共闘会議は非合法団体であり、大学としては認められない」と拒絶され、各学部で抗議集会が開かれた。この日の午後、集会に参加した学生が体育会系学生らに暴行され、数名が搬送された。 6月4日に行われた集会では各学部の学生1万余人が集結。右翼や体育会系を集めていた大学当局も、そのあまりの数に暴力による排除を断念し、大学本部で全共闘指導部が学生部長との談判を行うが、平行線のまま全共闘代表は11日に大衆団交を行うことを要求して引きあげた。6月6日に古田会頭らは「使途不明金は絶対にない」「この難局をのりこえ、学園の発展につくす」として退陣を拒否し、集会の完全自由化や検閲撤廃も否定した。 日大全共闘が大衆団交を行うとした6月11日、大学当局側は校舎をロックアウトし、暴力集団が集会に参加した学生に対して校舎の上から物を投げつけた。建物内部に入った学生には木刀や陸上競技の砲丸などの凶器が振るわれ、一部には日本刀を持ち出す者もおり、40人が入院するなど多くの学生が負傷した。 その日の午後、大学構内に機動隊が現れた。これを見た全共闘支持学生らは自分たちを暴行する集団を機動隊が排除するものと思い歓迎したが、大学当局の要請を受けて出動した機動隊は体育会系学生らを放置したまま集会を規制し、抵抗した学生6人を公務執行妨害で逮捕した。この出来事で大学当局と警察に対する決定的な不信感を植え付けられた学生らは、穏健な抗議集会では限界があるという認識を抱くようになる。
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