外国人の被害者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 14:47 UTC 版)
当時のソ連に在留している外国人といえば、コミンテルンに参加するためにソ連に滞在している共産主義者か、または共産主義が禁止されている国からソ連に亡命してくる非合法組織の者か、そのどちらかが大多数であったが、彼らもスターリンの大粛清の前で例外とはされなかった。 外国人の大粛清犠牲者で有名な人物としてはハンガリーの共産主義運動の始祖でレーニンの信頼も厚かったクン・ベーラ(1937年5月逮捕、1939年11月銃殺)、ラトヴィア人共産主義者ロベルト・エイデマン(英語版)(1937年6月銃殺)、スイス共産党創設者で、二月革命後のレーニンのロシアへの帰国を取り仕切ったフリッツ・プラッテン(英語版)(逮捕後、1942年4月ラーゲリで銃殺)等が挙げられる。 大粛清の矛先は、コミンテルンに加盟している各国の共産党に対しても向けられ、ポーランド、ユーゴスラヴィア、モンゴル等の共産党幹部がソ連に召喚され、多くが粛清された。アドルフ・ヒトラーによる弾圧を逃れてソ連に亡命していたドイツ共産党指導部も、大粛清によって壊滅した。 また、ソ連国外でも共産主義者や共産党の政敵への殺害は行われた。当時内戦の最中にあったスペインでは、共産党の政敵だったマルクス主義統一労働者党 (POUM) の幹部アンドレウ・ニンがNKVDの要員によって誘拐・殺害(1937年6月20日)されている。当時ソ連の衛星国だったモンゴル人民共和国やトゥヴァ人民共和国では、貴族やチベット仏教僧を始めとする反体制派への大規模な迫害や、「日本帝国主義のスパイ」に対する摘発が行われた。
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