夏燕ななめ45度の空
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
夏 |
出 典 |
ナイトフライヤー |
前 書 |
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評 言 |
明るい水色の空に、濃紺色の夜空のパズルピースが嵌め込まれてゆく。そのちぐはぐな模様の上を、オレンジ色の紙ヒコーキがふわりと飛んで過ぎてゆく。そんなデザインで飾られたユニークな句集、『ナイトフライヤー』の中の一句である。 作者は若い。まだ二十代だと思う。だが句歴は長く、もう二十年近くになるはずだ。第一句集のはずだから、前半部に収録されたこの作品は学生時代のものだと思う。 たしか二つ目の章の冒頭の作品。ページの真中に一句のみ。字数も少ないので、ぱっと目に飛び込んでくる。表現もいたって簡潔で、視覚に捉えた対象物と自分との位置関係しか述べていない。それなのに読み手の心には、夏空の美しさや飛ぶ燕の躍動感、それを見つめる思春期の心の存在が鮮やかに浮かび上がってくる。輝く空の明るさと作者がたたずむ室内との明暗。無限に広がる空への視線と、今生きている地上の一地点への思いなど、さまざまなことが想像されて面白い。飛ぶ鳥を斜めに見上げる構図と言えば、かの「ほととぎす鳴きつる方をながむれば(後徳大寺左大臣 千載集)」とか「ほととぎす平安城を筋違に(与謝蕪村)」などが思い出されるが、これらの歌や句が「ほととぎす」という言葉の強い象徴性を活かしつつ、絵画的に抒情を展開するのに対して、「夏燕」の句はいかにも無作為に、作者の視覚の記憶そのものを読者の前に投げ出して見せる。それでいて鮮明な映像と強い印象が残るのは、やはり若さゆえの思い切りにあるのだろうか。「シャーペンノックひらりとつばくらめ」、「水のない水槽が好き ある日」、「仰ぐのは1パーセントの夏でいい」、「トマトあり謝り方は知っていた」など、同句集にはユニークで自由闊達な作品がならぶ。眼に映るもの全てに、揺れ動く日々の感情が投影されているかのようだ。青春というものだけが持つ「代え難い何か」がここに存在するような気がしてならない。 |
評 者 |
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備 考 |
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