壮年 - 晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:22 UTC 版)
「フェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェ」の記事における「壮年 - 晩年」の解説
釈放された父フェルディナントが1951年に死亡すると、フェリーは名実ともに会社の代表となった。ル・マン24時間レースを始めとするレース活動に積極的に参加して好成績を収め社の名声を高めた。1963年には、長男ブッツィが設計に携わったスポーツカー、ポルシェ・911の生産が始まり、社を代表するモデルとなった。 1972年、フェリーが監査役員会長を務めていたポルシェはそれまでの同族経営から公開された企業へと転換することを決定した。企業体を形成していた「Dr. Ing. h.c. F. Porsche KG」、「VW-Porsche Vertriebsgesellschaft」、「Porsche Konstruction KG」の3社が統合されるとともに、ポルシェ一族はその経営の中枢から離れることとされた。フェリーは監査役会名誉会長に退いたが、実際には経営への影響力を行使し続けた。1979年ヴィルヘルム・エクスナー・メダル受賞。 1989年になり現役を引退、オーストリアのツェル・アム・ゼーに戻った。1998年、88歳で死去。ポルシェ名誉会長の肩書きは終生保持していた。
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